ハロプロエッグ時代より美少女として名を馳せていた工藤遥ちゃんですが、一方で中学生2年生頃まではかなり尖った性格をしており多くの珍事件を起こしています。
この頃については、工藤本人もイキっていた黒歴史時代として深く反省している様子。
加入当初、同期にイキリまくってました(苦笑)。
エッグから入ったのは私だけで、3人よりハロプロを知っていたから調子に乗ってたんでしょうね。
仕切るわ口出すわで、今思い返すと申し訳ない。みんな優しく対応してくれてたけど、恥ずかしい〜。黒歴史です。
引用元:東スポ
今日はヤンタンの収録からの舞台
新垣里沙さんが来てくれました
私の黒歴史、どこを取っても酷いわけです
それに優しく対応してくださっていたと思うと、感謝と同時に申し訳なさが…..
黒歴史時代の工藤を知らない方は、この放送を聞いても嫌いにならないでくださいね?(-_-)笑
引用元:https://ameblo.jp/morningmusume-10ki/entry-12173960954.html
この記事では、工藤遥ちゃんを代表する黒歴史エピソードをいくつか紹介します。
ケンカが強い発言
実は、はるかケンカちょ〜強いんです
元ネタ:2010年ハロプロ新人公演のグッズ写真に書かれていたメッセージ。
小学生時代、家では弟とのケンカに負けたことがなかったというのが根拠になっており、年齢を考えればかわいらしい発言でもあります。
なお、工藤は華奢で腕っ節は期待できないため、実際にモーニング娘。内でケンカをしたら絶対に弱い部類に入る、というのがファンの間での共通認識。
圧倒的な自信
正直、わたしがやると嗣永さんより リアルに似合っちゃうんで。
ソース:ヤンタン 2016年10月8日
ハロプロエッグ時代、楽屋で「ももち」こと嗣永桃子の髪型「ももち結び」を皆でマネしていたところ、工藤が真顔で言い放った一言。
エッグの中心人物としての自信に満ちていた、まさに黒歴史時代を象徴する事件の1つ。
田中れいな
「【ステーシーズ】のときにふくちゃん(譜久村聖/9期)から「9期、10期の間でいろいろあるんですけど、私もどうしていいか分かんないです」って相談されたので、「みんなで話し合おう」ってみんなを集めたんですよ。
それで「10期は先輩の9期にいろいろ言いづらいだろうから、この話し合いの場では先輩後輩なしで喋ろう」って言ったら、10期が責めまくるんですよ! それが最高で!
もう9期はタジタジ。飯窪は「ここはこうだと思うんですけど、どうですか?」みたいな感じなんですけど、工藤は「つーか、ここはこうで、あそこはああじゃないといけないと思うんスよ!」みたいな。」
「立ち振る舞いも凄くて、座り方なんてお父さん座りなんですよ! もう笑いを堪えるのが大変で。」
引用元:Billboard Japan
腹を割って話し合おう、と決められた瞬間から先輩を攻めまくる若き日の工藤遥ちゃんのエピソード。
工藤が憧れる先輩 田中れいなは、これを見て「自分に似てるかも」と感じたそう。
先輩に対する無礼の数々
大先輩 ガキさんこと新垣里沙ちゃん(10期加入当時のリーダー)とのエピソード。
10期メンバーのブログを読んで工藤が足を痛めたことを知ったガキさんが体調を気遣うメールを送るも、アドレスが変更されておりエラーの通知が返ってくる。
後日、明らかに工藤と思われる人物からガキさんの元にメールが届いたので返信したところ、アドレス変更の件には何も触れずに「10期のブログ、なんで見ちゃってるんですかぁ〜?」という内容が返ってくる。
ガキさんが「アドレス変えたらちゃんと教えてね。」と伝えたところ、「それはそれとして、10期のブログ読んでるんですかぁ〜?」という返信があった。
ソース:ヤンタン 2016年6月25日
その他にも、先輩である9期メンバーをあだ名でよびタメ口で接する、レッスンの場位置確認の際には「生田ぁー、鈴木ー」と呼び捨てにする(→ヤンタン 2016年10月8日)など、加入当初の傍若無人エピソードは数知れず。
ハロプロエッグ時代からの付き合いであるモーニング娘。の現リーダー 譜久村聖ちゃんは「誰にも言えない、墓場まで持っていく話もある。」と語っています。
10期のまとめ役を買って出るも…
モーニング娘。加入当時の工藤は、10期4人のなかで唯一のハロプロエッグ出身という選民意識※をもっており、最年少でありながら10期のまとめ役を自負していました。
しかし、同期とはいえ小6の子供が中学生(石田)、高校生(飯窪)も含めた10期メンバーを仕切るのは無理があったらしく、当時のリーダー ガキさんも「しっかりキャラを卒業してほしい」、「子供らしく振るまっていい」という趣旨の評価をしていました。(ハロプロ・TIME 2012/5/3)
※ オーディション時、佐藤優樹に出身地を尋ねられた工藤は「ハロプロエッグ出身」と返答。
ハロプロエッグを地名だと勘違いした佐藤が父親に電話してハロプロエッグはどこにあるのか聞いた、というトンチンカンなエピソードが有名。
ソース:ヤンタン 2016年1月3日
実は苦しんでいた時代でもある
工藤本人が自らの立場を実感し始めたのは、10期が加入して2枚目のシングル「恋愛ハンター」の頃だと語られています。
(問・モーニング娘。加入後、鼻を折られた具体的な出来事とは?)
入って1枚目の『ピョコピョコ ウルトラ』でもちょっと感じたんですけど、特にそれを感じたのは2枚目の『恋愛ハンター』ですね。
石田亜佑美ちゃんだけが先輩たちと一緒に歌割りをもらっていて、それ以外の私たちは違う振り付けで踊ったりしていたんですよ。
その状況を見て「本来なら私があっちに居たはずなのに!」と中学1年生ながらに思ったんですよね。
それで「自分は思ったより出来ない子なんだな。自分より出来る子はもっといっぱいいたんだな。本当にナメてたな、この世界」と入って1年足らずで実感してしまって。
そこからはもう這い上がろうにも這い上がることも出来ず……当時のシングルを振り返ってもらえれば分かるんですけど、ここ1,2年で私を知った人からしたら信じられないぐらい、マジで空気みたいなんですよ! あの頃のモーニング娘。の中での私は。
ソロパートもなければ、歌割りもないし、ハジっこだし。
「だから強気なことばっかり言ってたんだろうな」とか「出来ない自分を隠そうとして強がっていたのかな」とか……今になって思うことですけど、それが私が加入してからの「黒歴史」と呼ばれる1,2年です。
引用元:Billboard Japan
今でこそ黒歴史時代という笑いのネタにしているものの、深い悩みを抱えていたつらい時期でもあったようです。
(問・転機となったものは?)
めちゃめちゃ“舞台”でした!【ステーシーズ 少女再殺歌劇】がモーニング娘。に入って初めての舞台だったんですけど、田中さんと鞘師さんと並べたんですよ
「勝った!」と初めて思ったんですよ。10期の中で。
それで【ステーシーズ】が終わった後も「私はここ(舞台)でなら張り合える!」と思うことが出来た。それでファンの方からも「舞台だとすごく生き生きするよね!」って言われたんですけど、それは「何でもいいからひとつ勝ちたかった!」っていう気持ちの表れだったと思いますし、
年々舞台に対する想いも強くなりましたし……私の居場所というか「私がいちばん輝けて理想形に近付けるのはここなんだな」と舞台をやりながら思ってました。
引用元:Billboard Japan
演技を通じて確固たる自信を取り戻した工藤遥ちゃん。
精神的にも成長し、ハロプロ内部にも多くのファンを持つ人気者へと成り上がっていきます。
モーニング娘。卒業後、工藤遥ちゃんが女優への道へと進んでいくのは極めて自然な流れだったといえるでしょう。